緒論:寫作既是個人情感的抒發,也是對學術真理的探索,歡迎閱讀由發表云整理的11篇旅游文化的特征范文,希望它們能為您的寫作提供參考和啟發。
人類の旅の始まりは、生活の食料を獲るため、また、製品の交換、集落部族間の闘爭に伴う移動から始まったと言える。21世紀になると、観光を真に一般大衆のものとして先進諸國で定著し、現代観光の特徴である、一般大衆が広く観光に參加する時代、いわゆるマス·ツーリズムの時代を迎えた。本論文は日本における國內旅行と海外旅行の発展過程を遡って、各時期における旅行文化の特徴を分析したい。
一、日本における國內旅行の発展過程
(一)江戸時代の旅
中世の多くの紀行文の中でみられるように、中世の旅としては、1192年に源頼朝が幕府を開いた鎌倉と、朝廷のある京都との往來が盛んになり、人々が行き來した。
近世では、江戸時代に入ると、道路や宿場の整備、治安が向上、貨幣経済の発達、組織された「講(一定額のお金を集金して旅の費用に當てるために形成した団體旅行形式)の存在などの要因で、庶民の間にも旅が定著してきた。この時代には、信仰の旅である伊勢參りが盛んになり、江戸中期以後、伊勢講を中心とする農民、町民の參加者は、年間20萬~40萬人いたともいわれている。その後徐々に、庶民が日常生活から離れる格好の方便となり、伊勢參り後は近くの遊郭で遊んだり、京都観光をしたりして、旅を楽しんだようであるが、、一般大衆の國內旅行はかなり活発になっていた。また、関所、往來切手(身分証明書)の存在などの原因で、旅行は、また誰でも自由にできる行動ではなかった。
(二)明治時代の観光旅行
明治になると、関所が廃止され、誰でも自由に日本中に旅行することができるようになった。また1872(明治5)年には、新橋~橫浜間に初めて鉄道が開通したことによって、移動時間を飛躍的に短縮した。旅館も鉄道の普及とともに増加し、旅の活発化するための基本條件である交通と宿泊という2つの條件が整備されていった。明治時代には、修學旅行、溫泉への旅、夏季の海水浴、新婚旅行などの旅行形態や旅行志向を形成した。
明治30年代頃から、「美しい自然を見たいという“風景を求めての旅”が盛んになっって、パッケージ·ツアーの原型もこの時代に見ることができる。1905(昭和38)年、南進助が國鉄の貸切列車により、「善光寺參詣団を募集し、約900名の客を集め、成功した。これは、現在の「(株)日本旅行の前身である。JTBの前身である「ジャパン·ツーリスト·ビューローが1912(明治45)年に創立された。
(三)昭和時代の旅行
明治時代に定著した日本人の観光旅行は、質と量の両面、共に発展したが、第2次大戦の影響で停滯し、1945(昭和20)年戦爭終結後、ゼロからのスタートとなった。1946(昭和21)年に修學旅行が復活した。1948(昭和23)年國鉄と旅行會社共催の臨時車が移動し、団體旅行の形で観光旅行は行われるようになった。
旅行業界では、ジャパン·ツーリスト·ビューローは、戦後(財)日本交通公社と改稱。1948(昭和23)年には現在の近畿ツーリストの前身である日本ツーリスト(株)が創業。日本における近代の旅行業はまさにこの時代にスタートした。
1964(昭和39)年後、運送機関の整備が進んで、東海道全線が電化され、列車の旅はもっと快適になり、観光旅行に大きな影響を與えた。航空運送の整備も進んで、1957(昭和32)年に全日空輸(株)が発足。また、この時期には、「東急観光、「阪急國際交通社(現阪急交通社)などの旅行會社が続々と誕生した。こうした背景の下で、旅行ブームが作り出されて、団體旅行が中心であった。
昭和40年代に入ると、「イザナギ景気が到來、日本経済は高度成長が続き、1969(昭和44)年には、國民総生産は世界2位になった。この間、國民所得の向上により、人々の生活意識やライフスタイルが変化し、レジャーに対する意識や行動も大きく変化した。また、1970(昭和45)年に開催された「大阪萬博は、旅行の大衆化をもたらし、従來の団體旅行を家族·小グループ旅行に分解していく契機となった。
1970(昭和45)年から行われる旅行は、従來の観光地を巡る観光行動パターンと異なり、話題のスポーツを訪れ、食事やショッピングで、旅行におしゃれやファッション感覚を持ち込んで、観光の目的も多様化、複雑化した。
1973(昭和48)年に発生した第一次オイルショックと1979(昭和54)年の第二次オイルショックは、日本の社會、経済、観光業界に大きな打撃を與え、「安近短旅行という言葉が出現した。
一方、80年代に入ってから、多くの人々は、「物の豊かさより、「心の豊かさを重視する傾向が年々高まっている。生活の面からみると、個人·家族を大切する意識が強まり、旅行スタイルの個人·グループ·家族旅行への変化に大きな影響を及ぼした。観光旅行の目的はさらに多様化が進み、いくつかの旅行スタイルがブームになった。また、1983(昭和58)年「東京ディズニーランドの開 園により、人々のテーマパックへの旅行意欲を喚起した。
(四)平成の観光旅行
この時代、1991年に終焉を迎えた「バブル景気の崩壊は、旅行に大きな影響を與えた。日本経済は一転して不況に陥り、旅行需要も急落。デラックスな旅行は減少し、第一次オイルショックの時の「安近短ツアーが再び登場した。90年代以降の動向をみると、國內旅行は、可処分所得の減少、高齢化、少子化、年金問題により先行き不安などの原因で、平成初期から緩やかな減少傾向が続いている。
二、日本における海外旅行の展開
日本における海外旅行の発展過程は、揺籃期、中間期、成熟期という3つの段階に分けられる 。
(一)第一次海外旅行ブームを中心とした揺籃期(1964~1970年)
1956(昭和31)年の「経済白書で「もはや戦後ではないと指摘、1960(昭和35)年には、池田內閣が「所得倍増計畫を発表するなど、日本國內は、好景気に沸いた。
『國民経済計算年報(內閣府経済社會総合研究所編、平成13年版)によれば、日本の一人當たりGDPは1960年の477ドルであったが、1970年に1,967ドルに達した。
1964年は、東京オリンピックの開催を機に、日本の経済は、高度急成長が始まった年であり、旅行産業にとっても、大きな変化をもたらした年であった。それは、日本における海外旅行の歴史は、海外渡航自由化元年である1964年に始まった。
1964年に、海外観光旅行自由化によって、海外旅行ブームが起きた。自由化當時の年間出國者數は12萬8,000人、対前年比27.7%増加し、その後、経済発展のスピードに合わせるかのように海外旅行者數は急増し、1970年には66萬3,000人に達した 。増加した海外旅行マーケットにとして、旅行業界と航空會社は、団體企畫商品と一人でも行けるセット商品 (パッケージ·ツアー)を開発し、市場に投入した。スイス航空のパッケージ·ツアー「プッシュボタンをはじめ、日本航空の「ジャルパックJT Bの「ルックなど相次いで登場した。よる大量団體旅行が日本人の海外観光旅行を飛躍的に発展させる最大の要因となった。
この時期では、海外旅行は一生一度の贅沢である時代であった。旅行商品は高額で、一般國民にとっては、「高嶺の花で、手の屆かない夢であった。旅行者は、熟年層が中心であった。旅行形態は、周遊型(Seeing型)、団體旅行が中心となっている。
(二)第二次海外旅行ブームを中心とした中間期(1970~1985年)
1969年、ジャンボジェット機が就航開始したことにより、航空座席の供給量は急速に増大し、バルクIT運賃 (団體旅行専用の航空運賃體系)ができ、「大量高速輸送時代が実現した。パッケージ·ツアーの価格は大幅に値を下げた。また、1972年には、外貨の海外持ち出しの年1回500ドルという制限が撤廃され、誰でも行ける海外旅行時代が到來し、海外旅行の発展に拍車をかけ、いわゆる第2次海外旅行ブームを招來した。1970年から1973年までの海外旅行伸び率は、30%~60%にも達した。
その後、1973(昭和48)年に発生した第一次オイルショックと1979(昭和54)年の第二次オイルショックは、長い高度成長期に酔っていた日本の社會、経済に大きな打撃を與え、海外旅行にも水をさし、これまで順調に伸びてきた旅行消費が低迷した。この時期の人々の旅行志向が、「安·近·短となった。多くの旅行會社は、団體旅行の販売ではなく、新しい販路拡大の方向性を検討し始めた。その結果、特定団體用の低価格旅行商品は、一般消費者という不特定多數マーケットへシフトし、一般市場に流入した。大手會社は、低価格のパッケージ·ツアーを開発し、JIB「パレット、近畿ツーリスト「マイツアーなどのブランド商品は次々に登場した。これは、海外旅行の大衆化の原動力となった。
(三)第三次海外旅行ブームを中心とした成熟期(1986~2013年現在)
80年代前半、伸び悩んでいた旅行市場は、1985年9月のプラザ合意により、円高、バブルの傾向が始まり、海外旅行者數は急増し、1986年に500萬人に突破した。1987年、舊運輸省は、日本の國際収支の大幅黒字を、海外支出の増加により、改善すること、國際交流の推進により、日本人の國際的なセンスを磨くことを目的として、「テンミリオン計畫(海外旅行倍増計畫)を提唱した。1987年に運輸省が「海外旅行倍増計畫を打ち出し、1990年に、當初の目標達成より一年早く1,000萬人に達した。
90年代に入ると、日本における海外旅行の成熟化、リピーターの増加につれて、日本人の旅行に対する意識も変化しつつあり、旅行の需要と旅行者の行動も変化した。周遊·見物を中心とする“従來型観光”とは異なった交流·対話·體験·発見·共感などを目的とする“新しい観光形態”へ転換した 。旅行形態は、従來の名所、舊跡を巡る周遊型の観光パターンからレジャー、スポーツ、レクリエーション型の観光(Doing型)に移行し、旅行スタイルは、従來の団體から個人·グループ·家族旅行への移行傾向になった。
三、今後の展望
21世紀に入ると、日本における海外旅行は、さらに特に単一目的地(リゾートなど)で滯在型 旅行(Being型)が好まれるようになる。また、旅行者の経験、インターネットの普及により、旅行者は多くの情報源から旅行に関する情報を入手でき、「ツアー離れ、「個人旅行志向を加速させることとなった。
參考文獻
[1] 佐藤喜子光.観光を支える旅行ビジネス[M].東京:同友館,2002.
[2] 太田久雄.売れる旅行商品の作り方[M].東京:同友館,2003.
[3] 杜江,戴斌.中國出境旅游發展年度報告[M].旅游教育出版社,2006.
2、對網絡文化缺乏正確的認識,缺乏耐心,急功近利
云大旅院學生家庭條件優越,有的學生抱著混文憑而來,他們漠視掛科,認為大部分科目學了沒有用處,沉迷于網絡游戲,去虛假的世界中尋找刺激,不把心思花在學習上,一到期末考試就變著法子的研究作弊的手段及方法。他們認為網絡是萬能的,沒有了網絡就像缺了一只胳膊似的。據調查,我院有電腦的同學占了60%,但是真正用電腦學習的卻沒有那么多。計算機考試掛科率較高,就足以證明學生缺乏學習熱情,沒有把計算機的用途落到實處。
3、自我認同感較低,自卑感嚴重,自信心不足
云大旅院屬于三本院校,而三本學生在高考中成績并不理想,使得他們中很多人來到學校后自卑感比較嚴重,自信心不足。很多學生認為來獨立學院是高考失利后無奈的選擇,在各方面總覺得不如公辦院校的學生,容易產生“低人一等”的感覺,而且學生們往往把自身問題歸咎于外部原因,結果導致目標迷茫,沒有信念,自暴自棄,甚至對一生產生負面的影響。此外,有的用人單位對三本院校的學生有些排斥,他們在用工時,常常將三本學校的學生拒之門外。這就使部分學生對自己的前途和未來失去自信心,表現出一定的自卑感。
[中圖分類號]F59
[文獻標識碼]A
[文章編號]1002-5006(2010)10-0057-07
農業文化遺產(Agricultliral Heritage systems)是一種新的遺產類型,其概念源自聯合國糧農組織2002年啟動的“全球重要農業文化遺產(Globally Important Agricultural Heritage systems)”項目。按照糧農組織的定義,全球重要農業文化遺產是“農村與其所處環境長期協同進化和動態適應下所形成的獨特的土地利用系統和農業景觀,這種系統與景觀具有豐富的生物多樣性,而且可以滿足當地社會經濟與文化發展的需要,有利于促進區域可持續發展”。目前,關于農業文化遺產的概念還存在一些爭議。關于概念問題爭論的主要焦點在于對“Agricultural Heritage Systems”和“GlobaUy Important Indigenous Agricultural Heritage System”的譯法,集中在是否要將“文化”一詞加入概念中和是否要將“系統”一詞去掉的問題上。在現階段的研究中,筆者暫且仍然將其稱為“農業文化遺產”和“全球重要農業文化遺產”。
國內外在鄉村旅游、農業旅游、休閑農業、觀光農業等方面已經取得了豐碩的研究成果,這些研究為農業文化遺產旅游研究奠定了堅實的基礎。從概念和特點來看,農業文化遺產旅游不同于鄉村旅游、農業旅游等旅游形式,更不同于目前盛行的農家樂旅游。農業文化遺產旅游的核心是“遺產”,是旅游者前往農業文化遺產地進行體驗、學習和了解農業文化遺產的旅游活動,屬于文化旅游的范疇,其重要功能是確立遺產地的文化身份。而鄉村旅游、農業旅游等本質上來講還是大眾旅游,主要目的是休閑娛樂,二者存在本質區別。按照農業文化遺產保護的要求,有效管理的旅游發展應該成為農業文化遺產保護的有效手段,從而充分發揮旅游在遺產保護、教育、文化、科研以及經濟方面的功能。對于農業文化遺產旅游來講,農業生產、知識、經驗、技藝和農業生物多樣性等都是必不可少的旅游元素,農民不僅是旅游活動的主體,同時也是珍貴的旅游資源。學習、了解和尊重傳統的農業生產和生活是農業文化遺產旅游者所追求的核心體驗。了解農業文化遺產所具有的旅游資源特征對于識別和區分農業文化遺產旅游以及合理進行資源開發和目的地管理具有重要意義。根據研究,農業文化遺產作為一種旅游資源具有遺產類型特色明顯、脆弱性高和敏感性強、分布范圍廣、可參與性強和復合性強等特征。
1 遺產類型特色明顯
1.1 一種活態遺產
農業文化遺產最大的特點在于它是一種活態遺產。整個農業系統中必須有農民的參與才能構成農業文化遺產,而同時農業系統又是社會經濟生活的一部分,隨歷史的發展而不斷變化。農民是農業文化遺產的重要組成部分,他們不僅是農業文化遺產重要的保護者,同時也是農業文化遺產保護的主體之一”…。農民生活在農業文化遺產系統中,并不意味著他們的生活方式就要保持原始狀態,不能隨時展。農業文化遺產保護傳統農業系統的精華,同時也保護這些系統的演化過程。因此,農業文化遺產體現出一種動態變化性。
由于農業文化遺產是一種活態遺產,是農業社區與其所處環境協調進化和適應的結果,因此,不能像保護城市建筑遺產那樣將其進行封閉保護,否則只能造成農業文化遺產的破壞和農業文化遺產地的持續貧窮。農業文化遺產要采用一種動態保護和適應性管理的方式,也就是說,要“在發展中進行保護”,因地制宜地保護和管理農業文化遺產。農業文化遺產地的保護要保證遺產地的農民能夠不斷從農業文化遺產保護中獲得經濟、生態和社會效益,這樣他們才能愿意參與到農業文化遺產的保護工作中。也就是說,多方參與,尤其是社區參與機制的建立,在農業文化遺產的保護中占有重要地位。
1.2 區別于一般的農業遺產
農業文化遺產和一般的農業遺產存在一定區別。國際上關于農業遺產的論述最早出現于普林特斯(Prentice)對遺產的分類,將農業遺產界定為農場、農業博物館、葡萄園以及捕魚、采礦等農事活動。其實,我國從20世紀四五十年代就成立了中國農業遺產研究室,研究內容側重于中國農業史的綜合研究、傳統農業發展的動力機制與制約因素研究、近現代農業史研究,以及農業歷史文獻研究與整理等方面。石聲漢先生認為,我國的農業遺產概念比較寬泛,包括具體實物和技術方法兩大部門,古農具、古農書、古農諺等都屬于農業遺產的范疇。
目前,很多學者都認為“農業文化遺產”只是“農業遺產”的一部分,而且更強調對生物多樣性保護(全球重要農業文化遺產項目屬于全球環境基金中生物多樣性框架下的項目)具有重要意義的農業系統(system)或景觀(landscape),除一般意義上的農業文化和技術知識以外,還包括歷史悠久、結構合理的傳統農業景觀和農業生產系統。農業文化遺產突出強調農業景觀與農業系統這些至今仍在使用、也更有現實意義的農業文化遺產形式。
徐旺生等認為,從內容上講,農業文化遺產有狹義和廣義的區別,也可以將其分為物質的與非物質的、有形的和無形的農業文化遺產。廣義的農業文化遺產等同于一般的農業遺產,而狹義的農業文化遺產則更加強調農業生物多樣性和農業景觀,強調遺產的系統性。苑利同樣認為,農業文化遺產至少應該包括廣義和狹義兩個概念,但他認為狹義的農業文化遺產是指人類在歷史上創造并傳承保存至今的農耕生產經驗,如開荒的經驗、育種的經驗、播種的經驗、防止病蟲害的經驗、收割儲藏的經驗;而廣義的農業文化遺產則是人類在歷史上創造并傳承、保存至今的各種農業生產經驗和農業生活經驗。
1.3 區別于現有的世界遺產類型
1972年,聯合國教科文組織通過了《保護世界文化和自然遺產公約》,確定了文化遺產、自然遺產和文化與自然雙遺產3種類型。隨著對遺產認識的不斷深入,1992年世界遺產委員會又提出了文化景觀的概念,它是“自然與人類的共同作品”,是“保證和維持生物多樣性的特定土地利用技術”。文化 景觀以其獨特的視角和選區范圍,不同于文化遺產,也不同于自然遺產,而是體現人類長期的生產、生活與大自然所達成的一種和諧與平衡。
從聯合國糧農組織提出的定義來看,全球重要農業文化遺產與世界遺產類型中的文化景觀十分相似,二者都強調對生物多樣性的保護,自然與人類生活的協同進化以及人類對自然環境的適應。事實上,很多已經被列為文化景觀的遺產地同時也是全球重要農業文化遺產的試點,如菲律賓的伊富高梯田系統。農業文化遺產對于保存具有全球重要意義的農業生物多樣性、維持可恢復生態系統和傳承高價值傳統知識與文化活動具有重要作用,它更強調人與環境共榮共存、可持續發展。從這個意義上來講,農業文化遺產更像是文化景觀的一部分,是關注農業的文化景觀。但同時,農業文化遺產和文化景觀又存在本質上的區別。文化景觀強調遺產的地域性,而農業文化遺產則更強調對某種傳統農業知識和農業技術的保護,對這些知識和技術的地域要求并不十分嚴格。
2 脆弱性高和敏感性強
生態脆弱性是指生態環境對外界干擾抵抗力弱,在擾后恢復能力低,容易由一種狀態轉變為另一種狀態,而且一經改變很難恢復到初始狀態的性質。而文化的敏感性則是指文化易受外來因素干擾。作為一種特殊的活態遺產和旅游資源類型,農業文化遺產既有脆弱性高、也有敏感性強的特點。
2.1 生態脆弱性
農業文化遺產本身具有豐富的生物多樣性,很多物種處于瀕臨滅絕的危險境地。同時,農業文化遺產大多分布在人口密度高的偏遠落后地區,這些地區的生態脆弱性一般都比較高”“。研究發現,農業文化遺產地浙田縣的人均生物承載力僅為全國平均水平的86.2%,同時也低于世界平均水平,目前僅能勉強維持生態平衡。生態脆弱性除了與生態環境的組成、結構、功能相關外,還與生態環境的處境密不可分,因為生態環境本身的結構特征只是導致生態脆弱的潛在條件,而將這些潛在條件激化為現實的則是人類活動的干擾。旅游對于農業文化遺產來講就是一種很強烈的人為干擾活動,如果管理不善,農業文化遺產地的旅游發展將非常容易破壞農業文化遺產以及農業文化遺產地的其他資源,大大增加本地的生態足跡,不僅無法成為農業文化遺產動態保護的手段,而且會產生嚴重的負面影響。
2.2 文化敏感性
很多農業文化遺產位于少數民族地區,如貴州的稻魚共生系統位于黔東南侗族自治州,云南的哈尼梯田位于紅河哈尼族和彝族自治州,而國外很多農業文化遺產也是由少數民族甚至處于殖民狀態下的農民所創造的,如非洲的很多農業文化遺產。這些地區具有很強的文化和政治的敏感性,這些地區旅游業開發不當很有可能就會引發社會文化沖突。因此,農業文化遺產地旅游的發展必須充分尊重當地的文化,盡量減少旅游對當地的文化涵化,減少對民族文化的沖擊。作為農業文化遺產動態保護的重要方式之一,旅游發展必須以農業文化遺產的保護為前提,對于農業文化遺產地自然和文化旅游資源的利用必須進行嚴格的管理,確保農業文化遺產地的可持續發展。
3 分布范圍廣
農業文化遺產分布廣泛,主要集中于發展中國家和相對較為落后的地區。目前,聯合國糧農組織已經評選出首批全球重要農業文化遺產試點,同時也開始考慮將更多的候選點納入保護范圍。從目前試點和候選點的分布情況來看,農業文化遺產資源的分布主要具有如下特點:
3.1 一般分布在人口密度較高的區域(地區)
從全球范圍來看,農業文化遺產大多分布在人口密度較高的地區。這些地區的基本特點是人多地少,人地關系相對緊張。以“稻魚共生系統”全球重要農業文化遺產所處的中國浙江省青田縣為例,全縣海拔50米以下的河谷僅占4.64%,山間盆地占0.05%,丘陵和山地占95.31%。在長期的歷史過程中,當地農民逐漸發展出一種充分利用當地農業生物多樣性、適應當地特定環境的農業生產方式和生活方式,多年的傳承和發展證明了這種方式具有可持續性,而人地關系緊張則是這種生產方式產生的主要動因之一。
3.2 一般位于經濟發展相對欠發達或自然資源/氣候條件較為惡劣的地區
農業文化遺產一般位于經濟發展較為落后的地區,從全球范圍來看集中在非洲、南美洲和東南亞等地區。農業文化遺產地大多位置偏僻、生態系統脆弱、自然資源有限或氣候條件惡劣。為了生存,當地農民發展了復雜而具有創新性的土地利用和管理技術,由于這些地區人口密度較高,農民適應環境所發展出的可持續生產方式和生活方式就顯得彌足珍貴;由于經濟發展水平較低,這些地區還沒有受到大規模現代技術的影響,也沒有對資源進行過度利用。但現代化進程和全球的環境變遷也正迅速威脅著這些具有豐富的生物多樣性、農業多樣性和文化多樣性的傳統農業地區。
3.3 一般處于歷史較為悠久、土著居民定居歷史較為久遠的地區
農業文化遺產是人類長期適應環境的產物,是人類優秀傳統農業的杰出代表,其形成需要悠久的歷史。漫長的歷史發展過程中積淀的農業生產和生活經驗對人類未來的發展具有重要意義,這也是全球重要農業文化遺產評選的重要標準。菲律賓的伊富高梯田農業系統擁有超過2000年的悠久歷史,中國的稻魚共生系統也同樣擁有2000多年的歷史。歷史悠久證明了當地居民對其所創造的農業系統的依賴,以及該農業系統與當地社會系統的有機結合。歷史孕育了農業文化遺產地燦爛的農業文化,同時也產生了與農業有關的生產和生活文明。
4 可參與性強
參與是一個社會學的概念?!渡鐣M步與發展宣言》指出,公民參與是社會發展進程中不可或缺的部分。參與程度的高低可以衡量人們對某一活動的積極和認可程度,廣泛的參與對旅游發展具有重要意義。墨菲(Murphy)在《旅游――一種社區的方法》(Tourim:A Community Approach)一書中認為,社區參與正是協調發展與保護矛盾的途徑。農業文化遺產的保護和旅游發展都離不開社區居民和廣大旅游者的積極參與。
4.1 當地社區參與
農業文化遺產是一種活態遺產,作為一種旅游資源具有很強的可參與性,最重要的一點就是當地社區的參與。作為農業文化遺產保護的主體,同時也是保護的對象,當地農業社區的居民掌握著農業文化遺產旅游資源開發和利用的主導權,離開了當地社區的參與,農業文化遺產就不復存在,更無法成為愉悅旅游者的資源。農村居民從事農事活動本身就是參與農業文化遺產旅游的重要形式,也是農業文化遺產旅游發展的根本。另外,他們也可以參與其他資源的利用,如參與食宿接待、制作旅游紀念品等。研究表明,農業文化遺產的居民參與對于農業文化遺產的旅游資源轉化利用具有重要意義。
4.2 旅游者參與
農業文化遺產作為一種旅游 資源可參與性強的另外一點表現在游客的活動上。傳統農業系統作為觀光資源的潛力并不太大,因為調查發現很少有游客對農業文化遺產本身的景觀感興趣,而往往對參與農事活動以及與此相關的旅游項目產生吸引。如在浙田,超過50%的游客對下田抓魚、了解稻魚共生系統農業生產的相關知識、參與與稻魚共生相關的民俗活動等感興趣。因此,農業文化遺產作為一種旅游資源進行開發時必須結合游客的需要,在不破壞農業文化遺產的基礎上設計參與性旅游活動,讓游客通過旅游活動的參與切實了解傳統農業的價值,同時避免了游客僅作為旅游地的觀眾而無法獲得真實的遺產旅游體驗。
5 復合性強
農業文化遺產是一類典型的社會一經濟一自然復合生態系統,更能體現出自然與文化的綜合作用,也更能協調保護與發展的關系。它集自然遺產、文化遺產與文化景觀的特點為一身,本身就是一類復合性遺產。而從旅游資源的角度來看,它集中了農業文化遺產資源與其他資源,結合了有形(物質)資源與無形(非物質)資源,通過資源整合充分發揮了農業文化遺產地的旅游吸引力。
5.1 農業文化遺產資源與其他旅游資源的復合
二、新世紀的旅游文化研究
(一)關于旅游文化概念的界定進入21世紀,旅游文化的界定仍然存在爭議。晏鯉波、莊興成將2004年以前的旅游文化概念歸納總結為:“總和論”、“碰撞論”、“交際論”、“收縮論”等。王玉成提出“三體論”,從主、客、介體出發,認為旅游文化是不同的文化背景下,旅游主體和旅游中介體以旅游客體為依托,在旅游觀賞和旅游服務中體現出來的文化現象?;刚紓ヌ岢觥爱a品論”,認為旅游文化是廣泛存在于旅游活動中的,由專業人員挖掘或設計出來,滿足旅游者特定需求的物質文化和精神文化的產品。謝春山、鄒本濤提出“旅游介入文化”,認為旅游文化是人們的旅游體驗與介入過程及其產品的總和。這一時期對旅游文化仍然沒有完整統一的定義,但是學者普遍強調旅游主體及其活動在旅游文化中的核心作用。(二)旅游文化建設研究隨著人們對旅游的認識以及旅游研究的深入,旅游文化是旅游業的靈魂和支柱,也是旅游可持續發展的源泉,已成為學者的共識。2004年鄒本濤在《旅游文化建設論綱》一文中,提出中國旅游文化建設應該遵循三個基本原則:以商品經濟為基礎的原則,大眾化、民族化的原則,借鑒、繼承與創新相結合的原則。有學者開始關注中國的城市旅游文化建設。如鄭昌盛針對連云港市,分析了加強旅游文化建設的必要性、基礎條件、旅游文化資源開發現狀及存在的主要問題,提出了進一步加強連云港市旅游文化建設基本思路。李建軍、陳清、郭曉瑩探討了信息時代廣州的旅游文化建設,認為廣州的旅游文化建設應該探索出一種旅游業與信息社會整體發展的全面互動的發展模式。(三)旅游文化開發研究這一時期對旅游文化開發的研究,首先體現在對區域旅游文化開發的研究,從大區域對旅游文化開發進行探討。如劉少和提出了建設粵港澳大三角旅游文化區的構想。曹詩圖、沈中印對長江三峽旅游文化提出了“一區兩極三線四片”的戰略布局。其次是對城市旅游文化開發的探討,如陶偉、鄭海燕以歷史文化名城荊州為例,討論了地方文化在城市旅游開發中的重要作用。蔣禮榮對北海市的旅游文化開發進行探索,提出設計四種特色旅游文化產品的思路。第三是旅游景區(點)的文化開發也提出了新的理念。如楊剛提出南岳衡山旅游文化開發的措施,鄧清華、肖玲對西雙版納的旅游文化開發也提出自己的看法。最后是針對鄉村旅游文化開發,主要是對開發模式上的探討,提出文化觀光、文化體驗和文化綜合的開發模式。這一時期也出現對專項旅游文化開發的探討。出現如海洋旅游文化、影視旅游文化、紅色旅游文化、佛教旅游文化等等討論。(四)中國傳統旅游文化研究在20世紀的研究基礎上,隨著國內旅游的蓬勃興起和中西旅游文化的交流,對中國傳統旅游文化的研究得到進一步的深入。第一是對古代典籍中的旅游文化的梳理和探析。第二是對古代旅游思想觀念的重新解讀,從儒家和道家的角度對孔子與莊子的旅游思想進行深入的分析。第三是對中國的旅游文化史進行研究。
城市旅游文化雖然也稱之為文化,但其實質首先不是文化,是一種商業行為。一般來說,是近現代工業化之后逐漸興起的以經營為主的商業活動,其后,為滿足游客文化需求多樣化的客觀規定性,促使旅游目的地必須具有適合自身發展需要特點的文化形態。當它借助于城市文化時,就成為城市旅游文化。因此,城市旅游文化的特征首先是基商業性,其次才是文化性。因此,城市旅游文化是一種衍生文化,其定位應是城市特色文化下的商業文化。
二、城市文化與城市旅游文化內涵解讀
城市文化的特征決定了城市文化的基本內涵,大多數城市并不像專家學者所論述的那樣,在所有方面都具有可觀瞻性,都具有規模意義,都具有被外界所關注的價值。如鳳凰古城、麗江古城、平遙古城、黑河、滿洲里、蘇州、蓬萊,等等。這些城市被關注的內容或特色,主要集中在某一個或幾個方面,其城市文化內涵不可能涵蓋社會、自然、人文的所有部分。因此,地方政府在建設城市文化時,往往選擇該城市歷史發展過程中,最具有文化特色及積淀的部分代表城市文化。如古城、古園林、古建筑、古都,等等,以及自然方面獨步全國的特色,如桂林、陽朔、昆明、五大連池,等等。當然,也有超大型城市具備各種典型綜合城市文化特征,如北京、上海等。只是這樣的城市是少數,不代表廣泛性城市文化意義。
解讀城市文化內涵應該從城市特征入手,而不能從廣義城市文化概念開始。否則,將陷入概念繁瑣的陷阱之中,無法有效認識城市文化的特征及內涵。城市旅游文化既然是衍生文化,其文化內涵自然要追蹤溯源,探尋該城市旅游文化產生的本源,這是根本性的。另外,某一城市旅游文化的形成,與外界所關注的內容直接相關。通過外界的關注,某種可能不受當地人重視、沒有納入本地城市文化的文化,而被作為城市旅游文化的內涵受到重視,成為地方城市文化的內容。但無論怎樣解讀,城市旅游文化內涵必須具備商業開發價值這一根本性特征。
三、城市文化與城市旅游文化的關系
從上面關于城市文化和城市旅游文化特征及內涵分析中,可以明確二者的關系。城市文化為母,城市旅游文化為子,或城市文化為源,城市旅游文化為流。當然,母子關系或源流關系,并不完全代表雙方一致。歷史各個階段的文化創造之“源”并不能全都成為城市文化的標志。如中原地區眾多城市中的少數民族文化,由于其普遍性而沒有納入城市文化標志性內容之中。而“流”有時也例外地選擇“源”之中非城市文化的內容作為開發內涵,反客為主,成為城市文化的主要內涵,逆向豐富城市文化的內容。如麗江納西古樂就是在外界關注之下,成為麗江城市文化的主要內容。黑河知青文化,也是在大量知青回第二故鄉的潮流推動下,成為黑河大力開發建設的城市文化。
四、城市文化與城市旅游文化的功能
功能有兩種含義:一種是事物或方法所發揮的有利作用、效能;另一種是對象能夠滿足某種需求的一種屬性。一種是主動性質,一種是被動性質。這兩種性質的功能在不同領域發揮著作用。美國著名城市理論家芒福德非常重視城市的文化功能。“他形象地將城市比喻為,‘容器、傳播者和流傳者’。其論據是,城市的出現與象形文字、表意文字以及手書草字等這類永久性的記錄方式的發生時期吻合,還與數的抽象概念以及口語詞匯同期出現,也就是說,城市憑借象征性的書寫符號,‘在時間和空間上擴大社區邊界的濃縮作用和貯存作用’;‘一個城市的級別和價值在很大程度上就取決于這種功能發揮的程度’。他把‘文化貯存,文化傳播和交流,文化創造和發展’稱為‘城市的三項最基本功能’”。
實際上,芒福德的城市文化功能理論自身具有主動和被動兩種性質,“文化貯存”、“文化創造和發展”具有城市文化的主動性質。但芒福德的功能理論雖然強調了城市文化建設的人文性,卻沒有把城市文化的主動性完全包含在其理論要素中。城市文化的規范性和導向,在城市文化建設中具有極為重要的階段性作用。城市文化功能主要以主動性為主,是在城市建設中發揮有利作用的重要基石。城市建設核心思想的制定、城市建設規劃的制訂、民眾參與城市建設的積極性、城市建設的方向、規范人的品德、提高人的素質等,皆有賴于城市文化。“文化傳播和交流”功能兼具主動和被動兩種性質。主動與其他區域城市文化進行交流,是在發揮城市文化的主動性;與來訪的城市進行文化交流,則是以被動方式傳播和交流文化。而規范性和導向,貫穿于城市文化建設的每個階段,在技術、建筑方式、建筑規劃、管理模式、人文內涵、生活方式等方面,通過城市文化主動性的規范和導向,形成城市文化的特色和基本框架,并基本上左右著城市文化的走向
城市文化的主動性,主要體現于城市的內在文化建設。當然,真正意義的功能的被動性質,主要是某種事物能夠滿足某種需求。在城市文化中,實際上,這種功能主要由城市旅游文化來承擔。因此,城市旅游文化的功能體現的主要是被動性質。大量消費者到旅游目的地,主要是體驗異域文化,他們所購買的旅游產品,基本上是城市旅游文化,即城市精選出來供旅游消費者消費的城市文化。這些文化從各種不同意義上滿足消費者復雜、各具個性的需求。所以,城市旅游文化的被動性主要體現在城市的外向文化建設。
五、城市文化與城市旅游文化建設方向
通過以上分析,可以在城市文化與城市旅游文化建設方面采取不同的策略,以適應各自不同的特征,針對不同的群體,實現社會、經濟、文化、商業等方面的功能,達到相應的效益。關于城市文化建設,學術界的研究和設計成果極多,但大多偏重于總體設計與規劃,以及全方位文化思考。關于該方面的研究情況,王立曾經做過詳細綜述。對于大多數中小城市,在城市文化建設方面如若攤子鋪得過大,考慮過于全面,則不利于城市的發展。因此,對于這類城市,應根據城市歷史和自然的特征,適度開發與當地民俗相表里的文化內容,盡量避免受現代文化影響而與大多城市相雷同。以特色文化建設作為城市文化建設的導向。例如,黑龍江省黑河市,在城市文化建設中,應該秉持黑河城市建立發展過程所獨有的歷史文化痕跡,包括民族文化(以達斡爾、鄂倫春文化為主)、俄羅斯文化(俄羅斯移民文化)、移民文化(關內大量人口移居黑河)、中俄商業貿易文化(黑河城市興起之源)、知青文化。
符號學是研究符號的科學,即“符號學是系統地研究語言符號和非語言符號的學問”?,F代符號學思想有兩個源頭:一個是瑞士語言學家索緒爾,另一個是美國邏輯學家皮爾斯。他們幾乎是在同時期提出了“符號的科學”這一概念,被視為現代符號學的奠基人。索緒爾認為,符號(sign)就是“能指(signifier)”和“所指(signified)”的結合體,“能指”是符號的形式,“所指”是符號的內容,也就是符號傳達的思想情感或者意義。皮爾斯則豐富了符號的含義,強調一個“能指”之所以能夠和一個“所指”結合成為符號,就是因為兩者存在著一個結合的關系,這個關系就是“意指(signification)”。所謂意指就是能指和所指的結合方式或行為過程,即更深層次上的意義。符號學理論認為,人是符號的動物,人化自然賦予事物文化意義,人創造了符號,同時又在使用符號進行社會交往,創造新文化。可見,人的思維和行為都具有符號特征,符號成為了人們認識世界和改造世界的媒介和工具。
(二)旅游文化景觀
基于符號學理論的視角,旅游文化景觀涉及“符號”的意義,是在一定的歷史時期內,受當地社群、旅游企業、政府部門以及旅游者群體共同影響而形成的,經由符號的“能指”和“所指”功能,能夠滿足旅游者“符號”體驗和旅游地“符號”營銷。對其內涵的理解可以概括為以下幾點:首先,旅游文化景觀在形成的過程中,伴隨著符號意義的形成,但是其符號意義從來不是固定的、不可改變的。強調旅游活動的實踐性是非常重要的,正是旅游活動中的參與者,不斷賦予了文化景觀新的意義。同時,意義的形成并不僅僅是個體性的,它是不同文化群體所構建的多層意義。另外,在不同歷史時期,新層次的意義會隨著旅游參與者社會互動而產生,并得以交流,從而呈現一種螺旋式的意義循環。[2]其次,旅游文化景觀符號意義的生產、交流、理解和消費,涉及兩個密切相關的過程:第一個過程涉及旅游者主體賦予旅游文化景觀以符號意義;第二個過程涉及旅游文化景觀符號意義的共享與傳播。正是通過這兩個過程,旅游文化景觀的符號意義得以建構和解構。最后,旅游文化景觀的符號意義不是自然形成的,其意義的背后蘊含著人類智慧的結晶。旅游者在旅游中不斷追尋各種符號及符號意義,旅游景觀所在地相關者(政府部門、旅游企業、當地社群)也正是通過符號象征實踐,賦予旅游文化景觀民族的、歷史的、社會的和文化的意義。
二、旅游文化景觀的“符號”生產和消費
旅游文化景觀具有旅游目的地的民族、歷史等文化色彩,它以符號為基礎,通過符號的“能指”和“所指”功能表達著實體背后的意義。旅游者在旅游過程中對于體驗的要求不斷提高,而旅游體驗的滿意程度直接關系到旅游文化景觀的營銷成效。旅游者的旅游體驗并不僅僅是對景觀實物的感官感受,更多的是通過“符號”體驗獲得滿足感。當代旅游者不只是注重對旅游景觀實體的消費體驗,更多的是想通過旅游文化景觀“符號”意義的消費,體現旅游者本身的價值追求、審美追求、個性特征、社會地位等。為迎合旅游者的符號消費,旅游經營管理者必須針對旅游文化景觀進行“符號”的建構,通過符號的表征實踐,賦予旅游文化景觀一種“符號價值”,喚起旅游者對旅游景觀“符號”的追求,將旅游者所追求的符號價值與旅游文化景觀所表征的符號價值有機的結合,促進旅游活動的開展。
(一)旅游文化景觀的“符號”生產
旅游文化景觀的“符號”生產,本質上是旅游相關者對旅游文化景觀的自然和人文要素的符號意指過程、編碼過程和神圣化過程。旅游文化景觀不再是具有獨特地理空間結構的單元,它還反映著人與環境、游客與景觀、人與人之間的關系。當前社會經濟發展迅速,消費者在消費物品的實用價值時,也在不斷地追求著對物品符號價值的消費。為滿足旅游消費者的意愿,旅游文化景觀勢必走向“符號化”的生產過程。因此,旅游文化景觀的符號生產要求突出“符號”特征以及其象征意義,讓旅游者在接觸旅游文化景觀的同時進行符號的解讀。
(二)旅游文化景觀的“符號”消費
現代消費社會不再是一個產品和物的世界,它已經成為一個符號的王國。消費者在選購商品時,已由傳統的對商品的實用性(即物的價值)的關注,逐步轉移到更多地關注商品的符號象征意義。從某種意義上講,旅游也是一種符號消費方式。旅游者在對旅游文化景觀體驗的過程中,既制造著符號和旅游文化景觀之間的聯系,又在找尋符號與旅游文化景觀之間的聯系。一方面,通過對旅游文化景觀的“符號”解讀,旅游者個體既能夠獲得審美享受和增長見識,也能夠發現自我、認識自我、表現自我和實現自我,同時也體現著旅游消費者的個人品味、生活風格、審美情趣、價值觀念、社會地位等。另一方面,旅游者群體游覽旅游文化景觀,并不完全是為了滿足視覺感官的享受,而是通過旅游文化景觀“符號”意義的消費達到民族感情、文化模式、思想價值觀念等的認同,引起群體的共鳴,從而促進精神上的愉悅,達到人與人之間的和諧。
三、旅游文化景觀的符號營銷途徑
(一)旅游文化景觀的符號營造
符號是一種不可視東西的可視標記,它是對不可言說東西的一種類推,超越了現實關系及話語權力,體現并提供了情感與思想。[3]昆明作為首批國家歷史文化名城,一直持續發揮著名城的效應。昆明市五華區作為歷史文化名城,有必要加強景觀符號構建,彰顯景觀符號的象征意義。首先,文化景觀的符號建構可以通過專家評價,確立景觀“標志”,并通過各種途徑加以宣傳,使旅游文化景觀有別于其他的景觀,進而建立“標志”與特定“意義”之間的關聯性。例如,可以通過專家對五華區旅游文化景觀資源的評審,找到最能代表歷史文化名城昆明的文化景觀,作為春城的符號象征,更好地展現昆明“春城”的歷史滄桑、多彩文化,讓人們更多地了解、認知春城的自然、人文、民族、歷史、生態面貌。其次,通過場景再現、舞臺設計等方式創設情境,營造旅游氛圍,擴大旅游文化景觀的市場感召力,滿足旅游消費者的“符號”追求。[4]例如,讓旅游者參觀西南聯大舊址,通過場景再現和舞臺來展現,把旅游者帶入崢嶸歲月的年代,讓旅游者身歷其境,體驗剛毅堅卓、愛國精神、自由與民主、團結精神、苦干實干的西南聯大精神。將這種精神上升到符號表征,把它作為鼓舞人們奮斗的精神支柱。最后,文化是生產符號價值的原材料,旅游文化景觀的文化內核具有真實性的符號價值,應該深度挖掘旅游景觀表征的符號價值。充分調查旅游者所追求的符號價值,找出旅游者所追求的符號價值,對旅游者關注的文化象征意義、身份地位、價值觀念等方面進行微觀細化,深入開展旅游文化景觀的符號建設。例如,通過市場調查分析昆明五華區旅游者符號需求,展現五華區旅游文化景觀構建的符號象征意義———人與自然和諧共生、多彩文化精神底蘊等,加深旅游者對春城昆明的印象。
(二)旅游文化景觀符號整合
人們若是前往某一旅游地進行游覽參觀,他們所要看的并不是這個區域,而是這一地域上的一系列組合要素。[4]雖然每個單一的旅游文化景觀都是一個單獨景觀符號,但它需要一個信息從(markers)共同指涉對象,即各個符號信息聚攏在一起構成旅游文化景觀所在的區域符號特征,否則這樣一個符號信息對旅游者而言就毫無意義。因此,信息與信息所指涉的目標應該同時賦予一個旅游景物以意義。通過要素的組合形成特有的旅游文化景觀符號意義,更好地表達旅游文化景觀所在地的自然與人文底蘊。例如,西南聯大舊址、“一二•一”革命遺址孕育著愛國精神,故居、聞一多故居等歷史名人住所傳承著聯大的堅毅精神,圓通寺、大德寺等蘊含著深厚的佛教文化,圓通山、五華山、翠湖公園彰顯著人文色彩,見證著城市的滄桑和文化變遷的軌跡……旅游者來到昆明市五華區觀看到的并不是五華區,而是極具代表性的西南聯大舊址、“一二•一”革命遺址、名人故居、圓通寺和翠湖公園等文化景觀所構成的景觀群。通過把分散的歷史文化遺產整合成一個規模較大的整體,它所產生的景觀符號價值意義,遠遠超過分散個體所產生的符號效應的總和。昆明五華區資源要素整合,能夠使得旅游文化景觀按照特色形成“符號”表征,提升符號品牌效應,能夠更充分地展現景觀符號的價值,滿足旅游者對旅游“符號”象征意義的追求。
(三)旅游文化景觀的符號化營銷
符號營銷隨符號消費而產生,旨在某種產品與意義之間建立特定的聯系,以意義上的差異性作為區別企業產品與其他同類產品的基本手段,同時借助意義對滿足消費者心理和精神需求的作用來實現對消費欲望的刺激,從而促進產品的銷售。[5]旅游商品在被作為一個符號進行消費時,是按照其所代表的社會地位和權力以及其他社會人文因素來計價的,旅游商品作為符號能夠提供聲望和表現消費者的個性、特征、品味等?;诜杻r值進行符號化營銷,運用符號學理論來研究旅游產品的營銷傳播活動,尋找旅游產品中可見(能指)部分與不可見(意義)部分的聯系,并且找到實現旅游產品的“能指”與“所指”有效連接的途徑。例如,針對昆明五華區旅游文化景觀的符號營銷可以采取以下措施:(1)與歷史事件相結合。在昆明市五華區充滿著很多的歷史故事,這里是革命的圣地、是多元文化共融的地方,通過將旅游符號與歷史事件鏈接,再現歷史的、文化的、民族的、生態的旅游勝地,讓游客了解昆明,認識昆明五華區,使旅游者的符號追求得以實現。(2)通過傳媒平臺,進行符號滲透。對于昆明五華區景觀符號的營銷,應該利用種種手段,充分調動旅游者所關注的文化意義、目標價值、觀念意識、理想等旅游文化景觀價值,千方百計地為旅游者提供實用的、情感的、心理的等多方面的感受,努力把五華區文化景觀的文化、審美、自我實現等精神價值融為一體,在廣告宣傳中注重品格與人性化意義(個性、愛護、忠誠、責任),社會意義(關系、地位、價值、貢獻、聲望)以及歷史意義(民族風格、多元文化、愛國精神)的傳播。(3)充分利用旅游消費者的文化傾向。旅游產品營銷者應該利用旅游消費者形成的文化傾向,使其與旅游文化景觀的符號聯系起來,以文化作為舞臺,把旅游文化景觀的符號意義滲透到旅游者內心,驅動旅游者的符號消費。例如,昆明五華區每年在圓通山舉行櫻花文化旅游節,實現旅游符號與春城滇文化的互動,針對不同類型的旅游消費者營造差異性的文化氛圍,滿足不同旅游消費群體的符號追求。
我們蘇北旅游資源豐富,每個旅游資源都有自己獨特的文化特征,且地域性較強。旅管專業教師在教學過程中,要充分利用本地區的旅游文化資源,增加學生的知識儲備,提高學生對本地旅游文化的自豪感和自信心,從而提高學生學習旅游文化的積極性。此外,旅管專業教師要通過地方性旅游文化資源的教學,豐富學生的精神世界,提高學生的道德修養和文化素質,以實現素質教學的目標。
2.旅游市場的需求。
旅游文化的傳播離不開導游的講解和展示,因此,旅游文化教師要針對旅游市場對人才的需求,在教學中不斷培養學生的實踐能力、提升學生的綜合素質。作為旅管專業學生來說,不但要深入挖掘地方旅游文化資源的內涵,而且要全面了解地方文化的起源及歷史淵源,為以后的職業發展作好鋪墊。旅游文化不僅僅是一門專業理論課程,更是一門富有指導意義的實踐性課程,教師在教學時既要承擔起文化傳播的責任,及時向學生傳播本地的旅游文化,又要為學生以后的發展考慮,提高學生的綜合素質,進而提高旅游專業的人才培養質量。
二、地方旅游文化資源下旅游文化教學現狀及改革措施
1.旅游文化教學現狀
(1)旅游文化教學理念模糊,基本沒有利用信息化進行教學。
旅游文化課程內容涉及歷史、建筑、藝術等多個方面,具有較強的綜合性。傳統的旅游文化教學中,教師簡單地給學生介紹某個地區的歷史建筑、風土人情和民俗風情,教師未對一些旅游文化現象的歷史淵源和空間演變規律進行分析、講解,導致學生“知其然不知其所以然”。出現這些現象的主要原因是教師對旅游文化教學理念不夠明確,沒有準確地對課程進行定位。同時對于大量的旅游和地方文化知識,教師仍一味地使用傳統教學模式,很難激發興趣,更難幫助學生感受旅游和地方文化,進而愛上旅游和地方文化。
(2)旅游文化教學內容中缺乏地域文化。
關于旅游文化教學的教材種類眾多,教師的選擇性很大,但這些教材都普遍存在一個問題,即具有地方特色的旅游文化沒有融入到旅游文化教材中。大多教材只介紹了我國典型的區域文化特征,很少涉及具有地方特色建筑、宗教、民俗等方面的內容。教學過程中,教師對本土文化沒有深入的認識和足夠的重視,沒有把地域性文化資源融入到教學中,培養出來的學生滿足不了當地旅游業的需求。
2.地方旅游文化資源下旅游文化教學改革措施
(1)合理設計教學大綱。
教學大綱是指導教學的文件,也是教學效果評價的重要依據。對于旅游文化學科來說,要在面向旅游業需求、順應本地旅游資源的基礎上,與時俱進,不斷更新,制定適應人才需求的教學大綱,從而真正實現旅游人才培養目標??傊?,旅管專業教師要不斷對地域性旅游文化進行深度提升,把本地旅游資源合理的融入到旅游文化教學中,并重點講解與分析旅游文化主題,真正實現提高旅游業學生文化素質的教學目的。
(2)把地域文化融入教學內容。
地域性文化是吸引游客的重要內容,游客可以從中直接感知到該地區的本土文化,這是旅游文化教學的核心內容。旅管專業的學生在學習過程中熟練地掌握本地旅游文化,有利于在以后的職業生涯中獲得游客的認同感,出色的完成旅游相關工作。因此,旅游文化課堂教學一定要讓地方旅游文化資源融入教材,加深學生對本地區旅游文化資源的認識。此外,旅游文化教材中還應該涉及本地旅游現狀研究和旅游發展規劃等內容,以進一步提高旅管專業學生的職業潛能。
(3)提高地方社會服務能力。
目前,旅游文化的教學一般以課堂理論講解為主,忽略了學生實踐能力的培養,這樣的教學達不到旅游人才培養的目標,也滿足不了旅游市場對人才的需求。因此,我們要把旅游市場需要與地方性旅游文化資源結合起來,提高旅游文化教學的綜合功能,不僅要給學生講解理論知識,而且要組織學生參加一定的實習、實訓,進一步強化學生對本地旅游文化資源的認知,提高旅游文化教學的實用性和實踐性。
中圖分類號:G424 文獻標識碼:A
Analysis of Undergraduate College Tourism and Culture Course Teaching
QIN Meiyu[1], LI Zhao[2]
([1] Management Faculty, Chengdu University of Information Technology, Chengdu, Sichuan 610025;
[2] School of Humanities, Xihua University, Chengdu, Sichuan 610039)
Abstract Tourism and Cultural is the basis of professional tourism management course. There are still critical issues to be resolved in Tourism and Culture course teaching, the paper from the status of undergraduate teaching school starting, the undergraduate colleges, Tourism and Culture Studies disciplinary position, teaching materials, teaching methods, in-depth discussion, in order to provide a reference for the theories and methods for application-oriented high-quality personnel training.
Key words undergraduate; tourism and culture; course; teaching
1 旅游文化學課程現狀
旅游文化學是我國高等院?!奥糜喂芾怼奔芭c旅游相關的各本科專業學生必修的一門專業基礎課,是掌握旅游基本理論及基礎知識的入門課程。由于不同的教育層次決定了旅游文化學課程地位與作用、教材選擇、教學方法等教學環節上的差異,筆者通過瀏覽各大院校精品課程網站及CNKI相關論文查詢發現,對應不同教育層次的旅游文化學課程建設系列內容針對性不強,不能較好地服務于專業培養目標,需要進一步理清與完善。例如,通過中國知網以“旅游文化 課程”為關鍵詞進行精確查詢,收集到19篇相關學術論文,其中高職類14篇,高等本科院校僅為5篇,加之對其研究內容梳理不難看出,本科院校旅游文化學課程相關教學內容較為凌亂,未能達到本科教育層次對應用型人才專業能力培養要求,課程設置與建設沒有真正服務于專業培養目標。
本科院校開設旅游文化學時遇到最大問題是:旅游學作為一門新興學科,在學術研究方面還處于初級階段,學科理論研究薄弱,旅游學的學科基本體系框架和理論體系尚未真正建立,同樣,關于旅游文化學學科性質、研究對象、研究內容仍存在較大分歧;旅游文化學課程教材版本較為單一,內容選材普遍存在陳舊問題,現有教材與民俗學、旅游地理內容有大量的重復。應該說,本科院校旅游文化學課程教學中有不少問題尚待深入探討,尤其有必要在教材、課程體系、教學方法等方面進行特色化建設。
2 旅游文化學教材
國內高校旅游管理專業教學層次較多,具體包括本科院校、高職高專本???、成人教育本???、旅游從業人員培訓以及外國留學生等。①不同教學層次和教學對象需要不同體系與結構的教材相匹配,也將影響課程教學的實踐效果與培養目標的吻合度。目前旅游文化學教材大體有兩類:一類是沈祖祥主編,福建人民出版社出版的《旅游文化概論》、由謝元魯主編,北京大學出版社出版的《旅游文化學》為代表具有較強理論性的旅游專業系列教材,該教材較好地實現理論性、實務性、前沿性相結合;一類則是以旅游文化命名的教材,例如張文祥《旅游文化》,該教材具有知識性、實用性和可操作性的特點,較為適合高職高專教育層次,強調理論聯系實際能力的培養,體系較為完整,但應用于旅游管理本科層次教學中教材理論性強。經過對教材具體內容梳理得出,第一類教材是對旅游文化概述、特征和傳統等進行剖析,理論有余,但實用性不足;第二類教材是對與文化相關的旅游進行梳理,實用性很強,但理論不足,深度和難度不足??梢哉f現有旅游文化學教材不能很好地滿足本科院校教育層次需求,缺乏適合本科學生的旅游文化學教材。
3 旅游文化學課程體系
由于我國旅游文化課程建設起步較晚,經歷了上世紀80年代以來的學科基礎建設理論論證期,到上世紀90年代以來旅游文化學學科應用性發展期,至今旅游文化學初步形成了學科基礎理論體系,并伴隨著旅游理論研究的不斷深入和旅游實踐的縱深發展,旅游文化學內涵與外延不斷豐富擴大,需要新的理論和方法給予指導與參照,②特別是旅游文化學課程體系建設應首先做出改革。由于各院校及專業特色不同導致目前本科院校的旅游文化學課程體系結構認知與理解存在差異,呈現出旅游文化類型概述和三要素理論兩大課程體系結構特征,盡管大多學者都認為圍繞旅游主體、客體、媒體三要素展開旅游文化學課程體系結構安排較為合理,但由于教材、專業特點、學科基礎理論存在爭議等原因,旅游文化學實際課程體系安排仍沿用旅游文化類型的概述,再加之本科院校旅游地理、旅游民俗、導游理論與實務等課程間具有極強的交叉性,未能滿足本科院?!皬娎碚摗迸c“重實踐”的雙重課程體系建設要求。
筆者依據多年教學經驗,認為旅游文化學課程體系框架應包括中國歷史文化基礎、旅游文化基礎、旅游文化區域發展完整理論教學體系內容,即以文化旅游化與旅游文化化兩大主線展開課程內容安排,充分體現本科院校對課程體系設置理論與實踐并重的應用特征。首先,結合中國傳統旅游民俗文化相關內容縱向探討旅游文化植根的土壤以及生成原因、特征,揭示旅游文化內在本質和發展規律;其次,結合不同院校和專業課程間統籌內容,弱化旅游文化形態的比重,創新旅游文化學基礎理論教學內容,例如結合旅游學研究對象的“旅游系統說”加強課程教學中旅游目的地、客源地以及旅游通道的基礎理論內容,以此完善目前旅游三要素課程教學體系;最后,針對區域旅游實踐中旅游文化相關理論與方法具體運用,形象理論講授內容、培養學生解決實際問題的能力,探究中國旅游文化產生、發展及變化趨勢。
4 旅游文化學教學方法與手段
心理學家赤瑞特拉的心理實驗結果表明,人類獲取信息的主要來源為“視聽”,占到94%,并且二者搭配比例也直接影響接受效果,③而目前傳統填鴨式課堂講授方法嚴重影響學生綜合素養和解決實踐能力的提高。教學方法上,首先,應該根據專業特點和學生實際水平創新課堂教學方法,倡導“教師引導、學生主體”理念,明確課堂教學教師與學生角色分工,在積極引導學生獨立思考能力與創新能力的同時給學生以專業意見與建議。因此,可以嘗試案例教學、現場實踐教學、專家進課堂、辯論賽等適合大學生生理、心理特點的多樣化教學形式,有效調動學習積極性,加深對旅游專業的感性及理性認識。
對本科教育層次而言,學生已具備一定的資料收集與自主學習能力,因此,教學手段上應該通過課程安排與課程組織發揮學生的主體作用,通過團隊建設、主題模塊、學生互評、案例討論、多樣化多媒體技術運用等教學手段建立開放的課堂學習氛圍,將抽象化理論及業界疑難雜癥等具有廣度與深度的教學內容進行具體化、形象化處理,促成學生理論與知識互相轉化能力的提高,進而內化為學生的專業綜合素養。
和我國旅游學研究的年輕化特征一致,旅游文化學課程的建設與完善將成為較長一段時間內本科院校旅游管理專業發展中的重要理論課題和教學工作,其課程教學改革系列問題將不斷調整與完善,有效促成本科院校對旅游業高素質應用型人才培養目標的實現,從而為我國旅游業可持續發展提供理論依據和實踐參考。
注釋
【關鍵詞】葡萄與葡萄酒;旅游;文化;融合;對策
doi:10.3969/j.issn.1007-0087.2016.01.011
近年來,我國葡萄與葡萄酒產業發展十分迅猛,作為一種朝陽產業顯示了其強大的生命力。旅游文化產業也充滿活力、方興未艾,成為現代服務業的龍頭產業。那么,有著朝陽產業稱號的葡萄與葡萄酒產業和起著龍頭作用的旅游文化產業能否融合發展?二者怎樣融合發展?下面,筆者以云南省為例,談談自己的觀點以求教于同仁。
一、葡萄與葡萄酒產業的產業特征分析
葡萄與葡萄酒產業是一個高度復合的產業,和農業、工業、服務業、文化業(也被稱之為第四產業)關聯度高,與四大產業間有著千絲萬縷的聯系。近年來,就葡萄與葡萄酒產業與其他產業融合發展的研究開始破題。2015年6月,在第二屆中國葡萄酒論壇上,中國釀酒大師、山東濱州醫學院劉樹琪教授首次提出“葡萄酒+”,來論述葡萄與葡萄酒產業與其他產業融合發展問題[1]。
筆者認為,“葡萄酒+”實質上是葡萄與葡萄酒產業向其關聯產業融合、延伸。葡萄與葡萄酒產業與其他產業關聯度高,向其它產業滲透力大、融合速度快、延伸能力強,極易形成葡萄酒旅游、葡萄酒養生健康、葡萄酒體驗休閑等新的產業業態。葡萄與葡萄酒產業與其他產業融合的成本低、效率高,而融合出來的新產業具有高成長、高效益、競爭力強、可持續發展之特征。因此,葡萄與葡萄酒產業本身不僅是關聯性極強的產業,也是綠色、生態、高效和成長性極好的產業,這是它與其他產業融合的基礎。葡萄與葡萄酒產業與其他產業融合、延伸到不同的產業領域內,以不同的演進方式,形成富有成長性好、競爭力強的新業態,最終將推動整個產業結構的高度化、合理化,直接促進行業變革升級,激活一個個新的經濟增長點,構架出融合型的產業新體系。
其實,所謂的“葡萄酒+” 即是指葡萄與葡萄酒產業和其他關聯產業的融合。它是葡萄與葡萄酒產業與不同產業或同一產業不同行業相互滲透、交叉,最終融為一體,逐步形成新產業的動態發展過程。更進一步分析,這種融合在經濟進入新常態、新工業革命以及經濟全球化的背景下,以市場為導向,以效益最大化為中心,以葡萄與葡萄酒產業為基礎,依托與多個緊密關聯產業之間的融合,形成相互密切的技術經濟聯系和互補關系的新型產業形態。當然,從產業組織的角度,還可以將“葡萄酒+”理解為在經濟全球化、國內外市場競爭激烈的大背景下,產業追求利潤最大化,成本最低化,提高生產率和競爭力的一種發展模式和產業組織形式。
產業關聯度高、融合能力強、具備高成長、高效益、生態綠色、可持續發展的基礎性產業才能成為融合其他產業發展的基礎和依托。而葡萄與葡萄酒產業完全具備這些特征,其他關聯產業可以以葡萄與葡萄酒產業為依托進行產業間的融合,引發新業態的形成和產業整體競爭力的提升。所以,葡萄與葡萄酒產業完全能夠成為融合某個關聯產業的基礎。從這個角度上看,“葡萄酒+”不僅反映了葡萄酒業與眾多產業之間的直接和間接關聯性,而且反映了葡萄酒業與眾多產業之間融合的可能性,既為產業融合發展提供了前提條件和基礎,又拓寬了產業融合發展的范圍和空間。從實踐上來看,實施“葡萄酒+”戰略,讓葡萄與葡萄酒產業作為基礎和其他產業進行融合發展,就能夠優化市場結構、促進產業創新和轉型升級,培育新的經濟增長點,創造新的復合產業,實現資源的流動和合理配置,助推區域經濟一體化。因此,“葡萄酒+”的這些特征和作用,也決定了葡萄與葡萄酒業是國民經濟中最具備產業融合發展特征的戰略性產業。
二、葡萄與葡萄酒產業最適宜與旅游文化產業融合發展
產業間能否融合發展的最基本條件是產業之間的關聯性,產業融合的內在動力是對效益最大化的追求。葡萄與葡萄酒產業與旅游文化產業關系緊密,高度關聯,存在著必然的聯系。葡萄酒、旅游都是人類歷史社會文化活動的產物,葡萄酒、旅游離不開文化,更進一步說,文化可以當之無愧的成為葡萄酒、旅游的靈魂,是文化把葡萄酒和旅游有機地結合起來。而文化是人類創造的物質文明和精神文明,它必須有載體,例如葡萄酒、旅游等其他能夠物化承載的東西。劉云山同志在2010博鰲國際旅游論壇上的主旨演講上指出,一次難忘的旅游,必定是一次文化之旅、精神之旅,時刻都在觸摸著文化的脈搏、感知著文化的神韻、汲取著文化的營養[2]。這是對葡萄酒文化、旅游文化則是最好 的詮釋。
自古以來,葡萄與葡萄酒與旅游文化相生相伴,形成了葡萄酒旅游和葡萄酒文化。有史記載 ,人類最早發現葡萄酒是在山野中結伴游玩時 發現的,漫山遍野的野葡萄藤下散發出芬芳的酒香,這就發現了最早的自然發酵的葡萄酒。后來就有了葡萄酒文化。看來,葡萄酒文化的傳播者是葡萄酒旅游者,葡萄酒旅游的根本動因就是文化需求,葡萄酒旅游的核心資源在于文化資源。通過葡萄酒文化來促進交流溝通、獲得精神愉悅、審美享受是旅行者出行的最大動機。從目前情況來看,葡萄酒旅游過程實際上是葡萄酒文化的體驗和享受過程。葡萄酒旅游擁有文化底蘊和內涵,就會魅力無窮,一旦失去,就會索然無味。一言以蔽之,葡萄酒旅游活動是一種高品位、綜合性的葡萄酒文化體驗活動。
從國內外葡萄酒旅游業的發展來看,現代葡萄酒旅游的第一資源一定是葡萄酒文化資源,旅游的最基礎要素在于獨特的文化魅力、文化品格和文化環境。一個葡萄酒產區要實現葡萄酒產業與旅游文化業融合發展,一定離不開葡萄酒、旅游、文化這三大資源,而且更重要的是必須有獨特的元素來支撐葡萄酒與旅游文化產業的融合發展。
就云南旅游來看,云嶺高原上的高山大川孕育了云南許多獨特的自然景觀,“天下第一奇觀”的石林、高原水城麗江、風花雪月”的大理,千姿百態的元謀土林,“香格里拉”― 中甸的神奇,世所罕見的“三江”并流,孔雀曼舞的西雙版納、江狹水兇的虎跳峽……云南旅游資源豐富且特色鮮明,絕無僅有,彌足珍貴。近年來,云南高度重視旅游業發展,多元化綜合開發旅游文化資源,已經吹響旅游大省向旅游強省進軍的號角。因此,地處大西南的云南旅游資源得天獨厚、獨一無二,為云南葡萄酒與旅游文化產業融合發展提供了前提。
從云南葡萄與葡萄酒來看,在這神秘的云嶺高原,培育了我國海拔最高的特色葡萄產區-大香格里拉,產生了中國的ROSEHONY(玫瑰蜜),俗稱“云南紅”,云南自然成為中國葡萄酒的搖籃。目前,云南已經把葡萄酒產業作為全省經濟結構調整優化升級的重要戰略產業重點扶持,云南葡萄酒產業發展十分迅速,葡萄園和酒莊建設已有相當的規模和品牌優勢。這是云南葡萄酒與旅游文化產業融合發展的基礎。
就云南文化底蘊來看,“彩云南現”給神秘的云嶺高原增添了不少的文化底蘊。云南也是我國少數民族較多的省份,地理地貌、歷史變遷、民族分布都很特殊,尤其是多樣的民族文化讓人們感覺到云南的神奇瑰麗。神秘的云嶺高原孕育著多元化的文化,各民族文化在此碰撞、交融,形成強大的文化合力,推動著云南經濟文化的發展。這是云南葡萄酒與旅游文化產業融合發展的根本。
綜上所述,文化底蘊深厚的云南已經具備葡萄酒產業與旅游文化產業融合發展的前提條件和基礎。作為一個邊疆、山區、多民族的以農業為主的經濟欠發達省份,推動云南經濟的跨越發展,完全可以揚長避短、發揮優勢,實施“葡萄酒+”戰略,推動葡萄酒與旅游文化產業深度融合,促進葡萄酒旅游文化產業快速發展。
在眾多可以作為產業融合依托的產業中,葡萄與葡萄酒產業與旅游、文化有著天然的親和力,是產業融合的最好的基礎產業,這在實踐中也得到廣泛認可。在國外,美國納帕、法國波爾多等國外產區,因葡萄酒而形成的葡萄酒旅游文化這一復合業態超常規發展是產業融合協同發展的成功典范[3],每年都有世界各地的數以億計的旅游者來到這里的葡萄酒產區參觀葡萄園與酒莊美景,品位鑒賞體驗葡萄酒文化,為當地帶來了很多的財富和人氣。
在國內,葡萄酒與旅游文化產業的融合發展,如火如荼。近年來,國內葡萄酒旅游文化產業伴隨葡萄酒產業的蓬勃發展,蒸蒸日上,到葡萄酒產區去旅游體驗葡萄酒文化蔚然成風,葡萄酒旅游文化活動呈現出井噴增長的態勢。今年以來,作為我國優秀的旅游城市、國際葡萄?葡萄酒城煙臺大力實施“葡萄酒+”戰略,推動葡萄與葡萄酒與旅游文化深度融合,出現了可喜的發展局面,實現了相互補充互相促進的目的。據統計,今年國慶期間,僅煙臺蓬萊葡萄酒莊旅游人數達到上萬人次。截至目前,2015年蓬萊葡萄酒文化旅游突破10多萬人次。今年來煙臺進行葡萄酒旅游的海內外游客將超過千萬人次,旅游收入將達百億元[3]。煙臺的實踐證明了葡萄酒產業融合旅游文化產業的巨大魅力。國內的葡萄酒企業張裕公司、君頂酒莊、云南紅酒業公司等運用“葡萄酒+”,促進葡萄酒與旅游文化的融合發展,帶來了數以萬計的國內外來客和不菲的綜合收入,取得了很大的成功。國內葡萄酒與旅游文化產業協同發展的實踐,說明葡萄酒同旅游文化的融合發展大有可為,大有潛力可挖。因此,葡萄酒產業要取得持續發展,必須要與旅游文化深度融合,而旅游文化產業的騰飛同樣要融合于葡萄酒產業之中,達到互補互促的效果。
我國是在近幾年才開始開發葡萄酒旅游文化市場的,運用“葡萄酒+”,促進葡萄酒與旅游文化融合發展剛露端倪。在國外葡萄酒與旅游文化的融合早已開展,比如法國、美國、澳大利亞等,葡萄酒旅游已經成為了一種十分成熟的旅游模式[4]。葡萄酒原產地歐洲聯盟主席卡爾巴斯特表示,葡萄酒旅游繁榮的秘訣之一,就是要重視其背后獨一無二的歷史和文化。他說:“葡萄酒是很多國家、城市歷史長河的一部分,而每個城市的歷史都是不同的,所以中國應當發掘自己獨特的葡萄酒歷史和文化[5]?!?/p>
文化是葡萄酒的靈魂,更是葡萄酒旅游的依托。國外許多著名產區的葡萄與葡萄酒文化已發展到很高的水平。以法國的波爾多等地為例,當地在推廣美酒的同時,會把一些看似關聯度不高的元素整合在一起,例如在旅途中融入酒的歷史、品牌等知識介紹[5]。這樣的旅游規劃叫做“配套服務”,而這一點正是我國在葡萄酒旅游上的短板。葡萄酒旅游文化主要由三個要素構成:品牌故事、獨特的資源及配套服務。品牌故事包括一款酒名字的來歷,獨特的資源是指每個酒莊背后獨一無二的故事,例如不同的葡萄品種和不同的價值,不同的制作工藝等,旨在調動消費者的興趣。與舊世界葡萄酒國家差異最大的旅游要素在于我國的“配套服務”還不夠完善。
正是品牌、獨特的資源、配套服務這些獨特的元素促使葡萄酒與旅游文化之間產生了諸多的必然聯系,讓其融合更為順暢、高效??梢哉f,沒有美酒就沒有一種良好的旅游文化氛圍。旅游者似乎離不開葡萄酒與文化,而葡萄酒和文化也似乎離不開旅游者,沒有旅游者的青睞體驗,再好的葡萄酒也難以成為美酒,再豐厚的葡萄酒文化也無法張揚。旅游者之所以對葡萄美酒情有獨鐘,并不僅僅在于葡萄酒本身的風味,更在于葡萄酒的文化魅力。正是由于旅游者對葡萄酒文化內涵的高度追求,才使旅游與葡萄酒緊密地結合在一起。因此,文化才是旅游與葡萄酒結合在一起的根本原因。從這個意義上來說,葡萄酒產業與旅游文化產業融合,不僅是最完美的結合方式,也是業態創新的最好途徑。
三、促進葡萄與葡萄酒產業和旅游文化業融合發展的對策
葡萄酒旅游是一種高品位、綜合性的文化活動,這一旅游過程實際上是文化的體驗和享受?!捌咸丫?旅游+文化”之所以成為葡萄酒與旅游文化融合發展的基本模式就在于此。那么,我們如何做好“葡萄酒+旅游+文化”這篇大文章,促進葡萄酒產業與旅游文化產業的融合發展?
(一)洋為中用
向國外葡萄酒旅游業發達的國家學習融合發展的經驗,洋為中用。只有善于學習借鑒國外經驗,拿來為我所用,才能少走彎路,加快融合進程。目前,在國外葡萄酒業發達的國家,葡萄酒旅游業搞得相當出色,葡萄酒與旅游文化業融合發展,相得益彰,相互促進。國外葡萄酒與旅游文化業融合發展方面比較成功的國家是澳大利亞。在澳大利亞,葡萄酒旅游已經涵蓋了旅游活動的重要部分,葡萄酒與旅游文化產業融合發展,為葡萄酒業和整個社區以及政府財政帶來了巨大收益。據澳大利亞制酒業聯合會預測,每年通過旅游文化活動和酒窖直銷給酒業帶來的直接效益在4至5億澳元之間。以維多利亞一個州為例子,該州葡萄酒旅游的每年總收入就達1.85億澳元,其中大約0.7億澳元來自酒窖直銷[6]。
再比如法國、意大利、美國、南非、摩爾多瓦等國。這些葡萄酒生產國為了擴大本國葡萄酒在世界上的影響,并且提高本國葡萄酒產品市場占有比例以及銷售量,就把旅游文化業與葡萄酒業兩者很好地融合起來,以葡萄酒業豐富和提升旅游文化業的內涵和吸引力,用旅游文化業來帶動和促進葡萄酒業的穩步發展。當然,國外在葡萄酒與旅游文化的融合發展上,特別注重葡萄酒環境創新、旅游文化產品開發,新的旅游文化業態培育以及整體規劃等等。國外的一些經驗表明,促進葡萄酒與旅游文化的融合發展,一定要做好葡萄酒旅游文化環境創新、葡萄酒旅游文化產品開發、 新的旅游文化業態培育、推廣好葡萄酒旅游文化。對于我國發展葡萄酒產業文化有得天獨厚條件的云南來說,要很好地學習借鑒,做好葡萄酒文化與旅游的融合發展規劃。在總體規劃的基礎上,實施“葡萄酒+”,推動葡萄酒產業與旅游文化的深度融合,創造性地打造葡萄酒旅游文化形態,彰顯葡萄酒旅游文化的魅力和風采,才能真正促進葡萄酒產業與旅游文化產業的融合發展。
(二)古為今用
在推動葡萄酒產業與旅游文化產業的融合上,要堅持古為今用的原則。古代的風景名勝、歷史文化等資源,可以很好的古為今用,使我們的葡萄酒旅游業文化發展的更加完善。云南具有悠久燦爛歷史,留下了許多歷史文化資源,如,云南是一個農業大省,農業歷史悠久,農耕文化燦爛文明,具有以包容和諧為最大特征的云南農耕文化,如能運用“葡萄酒+”,促進葡萄酒、旅游和農耕文化深度融合,即實施“葡萄酒+旅游+農耕文化”戰略,把云南高原的葡萄酒莊變為融葡萄種植、葡萄酒生產、文化休閑體驗及旅游于一身的復合體,讓它們盡情發揮云南葡萄酒旅游文化特色,讓來云南的旅游者在遍布葡萄園的山野與彰顯古今中外特點的各種各樣的酒莊建筑之間徜徉,在葡萄園采摘葡萄與釀造美酒中體驗,在葡萄美酒與琴棋詩書畫之側鑒賞,盡情暢享彩云之南葡萄酒旅游文化的休閑情趣[6],那么,結合古老的云南農耕文化,讓葡萄酒旅游與云南農耕文化深度融合,即通過實施“葡萄酒+旅游+農耕文化”戰略,就能夠很好地實現“古為今用”的目標,促進葡萄酒與旅游文化的融合發展。此外,云南是開埠較早的省份,開埠文化歷史悠久,要緊緊抓住這些厚重的開埠文化史實,實施“葡萄酒+旅游+開埠文化”戰略,充分將開埠文化與旅游及百年葡萄酒歷史文化深度融合,通過建設云南紅葡萄酒文化博物館、歷史風情街、歷史建筑遺存和各種文藝形式、傳媒,深入挖掘文化內涵,賦予新的時代氣息,把葡萄酒與旅游及開埠文化深度融合,讓豐厚的文化底蘊與葡萄酒、旅游相輝映,張揚葡萄酒旅游文化的豐厚底蘊,顯示葡萄酒的文化張力,大大提升云南葡萄酒旅游文化的品質,增強吸引力,擴大影響力。
(三)探索創新
由于葡萄酒與旅游文化業的融合發展在國內還是發展中的新事物,在發展中還會遇到這樣和那樣的問題和困難,亟待我們進一步的探索和創新。相信隨著人們生活水平的提高、消費觀念的改變、葡萄酒文化的推廣、葡萄酒業的健康發展,葡萄酒旅游文化業發展空間將會越來越大,并將成為一個新的旅游收入增長點,甚至是區域經濟的新增長點。所以,我們必須充滿自信,必須結合國情、省情,運用“葡萄酒+”,必須自我探索、摸出一條具有自己特色的葡萄酒與旅游文化的融合之路。
促進葡萄酒與旅游文化產業融合發展,必須勇于實踐、勇于創新,大膽探索,決不可因循守舊、故步自封。運用“葡萄酒+”,沒有現成的經驗和固定的模式可循,必須以自我探索為主,結合國情、省情以及產區實際,摸索出一個適合中國國情、省情、符合產區特色的葡萄酒旅游文化運作模式,并精心培育使其成為一個具有競爭力的旅游文化產品。換言之,運用“葡萄酒+”,促進葡萄酒與旅游、文化的融合發展,就是要以葡萄種植和葡萄酒消費為基礎,以葡萄酒文化體驗為主題,以酒莊為依托,融觀光旅游、度假旅游、工業旅游、農業旅游、城市旅游、鄉村旅游、節 事旅游、會展旅游等多種旅游形式于一體,互相促進,協調發展[6]。當然,具體產品的開發應當因地制宜,靈活多變,形成類型多樣、多層次的產品體系。近年來,云南省葡萄與葡萄酒產業發展迅速,已成為我國七大葡萄產區之一,云南的多個子產區已形成自己的特色,如彌勒產區種植的特有葡萄品種“玫瑰蜜”、“云中舞”,迪慶高原產區的有機葡萄園及赤霞珠干紅、冰紅酒,楚雄的早熟鮮食葡萄等。因此,必須結合云南葡萄酒產區的這些實際,創新思路,自我探索。如結合“玫瑰蜜”文化,即十八世紀中葉,年輕的法蘭西傳教士來到云南,在香格里拉的茨中壩子,種下了第一株來自法國的古老釀酒葡萄,于是有了云南紅。1904年來云南南部修筑滇越鐵路的法國人在鐵路沿線車站院落里栽培了許多酒葡萄,成為云南高原最早的“玫瑰蜜”釀酒葡萄園;圍繞這些文化歷史,可以編撰一些葡萄酒的故事、小說、電影、電視劇等,還可以圍繞這些歷史整理出版一些經典性書籍,編撰云南葡萄酒史志,使之成為寶貴的文化遺產。結合云南多民族(26個)呈現出不同的社會文化形態和各民族豐富多彩的風俗民情的特點,開發每一個民族的衣、食、住、行及節典、婚戀、喪葬、禮儀、生育、圖騰、語言、宗教、文字、禁忌、審美,把這些個性鮮明的文化鏈與葡萄酒旅游有機結合起來,把大理的白族文化、傣族的貝頁文化、納西族的東巴文化、彝族的貝瑪文化與葡萄酒旅游有機結合起來,既增加了云南葡萄酒旅游的文化內涵,又能夠圍繞這些開辟新的葡萄酒旅游文化景點(產品),從而給旅游文化業注入新的活力,促進云南葡萄酒旅游文化業的大發展。
四、結束語
總之,把葡萄與葡萄酒產業作為產業融合的基礎,高度融合旅游、文化產業,就一定能夠推動云南的葡萄酒產業與旅游文化產業的快速發展,同時也能夠促進云南葡萄酒產業發展躍上新臺階,從而形成以葡萄酒產業為基礎、旅游為龍頭、文化為支撐的葡萄酒旅游文化融合發展新格局,整體上帶動云南各地社會經濟文化的發展。目前,葡萄酒產業與旅游文化業的融合已是大勢所趨,云南葡萄酒產業和旅游文化產業的融合才剛剛破題,產業融合的經驗不足,融合進程中困難不少,有些問題亟待解決。但我們相信,只要大家一起努力,乘當今世界產業融合的東風,更好地實踐運用“葡萄酒+”理念,大力推進葡萄酒與旅游文化產業融合,就能夠促進旅游文化大發展,促進葡萄酒業快發展,實現云南“旅游文化q強省之夢”的共同夢想。
參考文獻
[1]韓永奇,劉世松.開創中國葡萄酒的美好未來――2015中國葡萄酒論壇綜述[J].中外葡萄與葡萄酒,2015(4):60-66.
[2]劉云山.文化是旅游的靈魂――在2010博鰲國際旅游論壇上的主旨演講[N].光明日報,2010 -03-21(1).
[3]劉樹琪.葡萄酒產業密碼[M].北京:人民出版社,2014:78-90.
[4]韓永奇.張天良之經營智慧[M].青島:中國海洋大學出版社,2015:56-62.
[5]李鵲.葡萄酒旅游重在文化中外配套服務差異大.[N].國際在線,2014-08-01(2).
[6]韓永奇,劉世松.2015年我國葡萄酒產業將進入新的發展平臺[J].市場經濟與價格,2015(6):45-48.
Study onCoordinated Development Countermeasures ofWine Industry and TourismIndustry around Yunnan Province in China
HAN Yongqi
旅游,一個非??蓯鄣脑~語,給我們多少的驚喜和樂趣。尤其是現在這個社會,經濟飛速發展,人民已經不僅僅滿足于物質的享受,越來越多的人們去追求更多的精神食糧,于是旅游產業熱起來了。旅游產業,當今我國經濟體系中最重要的第三產業,同時也是人們最重要的精神文化生活產業。隨著人們經濟生活水平的進一步提高,相應地對精神生活的要求也在悄然發生改變,于是促使現代旅游文化應運而生,而且逐漸成為現代旅游的主旋律。通過研究我們發現,現代旅游文化重視文化旅游,即是將旅游與文化統一起來,旅游不再是簡單的旅行游覽,而是更注重對文化的一種履歷和踐行。因此,本文就我國旅游文化的內涵,傳統旅游文化的傳承與發展的課題進行簡要的探析,并對其文化傳承的方式等進行詳細分析,從而解決其存在的問題。
一、旅游文化的內涵
(一)旅游文化與文化旅游一樣嗎?一看概念差不多,實際是不同的。旅游文化和文化旅游兩個嚴格區分有一定的聯系和概念。旅游文化屬于文化的范疇,是一類文化,文化旅游類是運動,是有機聯系的存在的意義一類的旅游和旅游業。
(二)旅游文化是具有綜合性的文化
旅游文化是文化的各個方面組成。如果你需要源文化,東道國文化和服務文化。一個獨立的文化交流形成這些文化的融合。這一綜合性的文化主體由兩部分人:一是游客,他們是旅游者的文化載體;二,從業者的旅游目的地和其他目的地的接待和工作人員和游客都直接或間接地接觸他們是在主機的文化和服務文化的載體。在旅游這兩個過程或提供勞務為游客之間的關系,并促進文化的交流,創造了旅游文化。因此,無論是從旅游文化的內容,還是從旅游文化的形成過程來看,它都具有綜合性的特征。
二、傳統旅游文化傳承的必要性
(一)傳統旅游文化是我國旅游業的源泉和基石實際上,旅游最主要的就是文化的游歷,主要包括自然文化、歷史文化、生活與飲食文化、文化等多方面,這些文化要素都具有明顯的地域特征和民族屬性。我國是一個擁有960萬平方公里疆域、56個古老民族、5000年悠久歷史的傳統國度,自然資源豐富優美、歷史文明厚重綿長、宗教文化古老神秘……這些都構成了我國傳統旅游文化的要素。事實證明,雖然我國旅游業起步較晚,但正是因為獨具魅力的傳統文化才吸引全世界游人蜂擁而至,從而促進我國旅游業蓬勃
發展。因此,傳統旅游文化是我國旅游業最重要的源泉和基石,必須要永遠傳承和發展。
(二)傳統旅游文化是我國旅游業的品牌基礎和核心競爭力近年來,隨著世界旅游格局的進一步開放,我國傳統旅游業也經受了來自于西方旅游文化的沖擊。在這種沖擊的影響下,一些旅游主管部門、旅游單位、旅游從業人員出于急功近利的心理,盲目迎合西方旅游文化而弱化了我國的傳統旅游文化,這是一種極其短線的行為。眾所周知,旅游業具有一定的地域性、民族性、承續性,盲目把外來旅游文化嫁接到我國旅游業上。久而久之就會減弱甚至埋沒我國我國本土旅游品牌的影響力,從而最終喪失我國本土旅游的競爭力。
因此,我們在引進和借鑒西方旅游文化的同時,更要注重對我國傳統旅游文化的傳承與發展,以此為基礎
打造更多我國專屬旅游品牌,提升我國旅游業的核心競爭力。
三、傳承傳統旅游文化對策分析
(一)保護性傳承與發展
我國旅游資源非常豐富。近些年隨著我國旅游業的熾熱發展,很多優勢旅游資源被開發,但在開發的過程中卻暴露出過度開發以及破壞性開發的嚴重問題。我們知道,諸如許多自然景觀、非物質歷史文明遺產、古建筑等都是不可復制的,更不可能再生,一旦遭到破壞將使我們永遠失去這些珍貴的文化遺產和旅游資源。因此,我們在傳承和發展傳統旅游文化的過程中,首先要高舉保護的大旗,嚴禁過度和破壞性開發傳統自然旅游資源和文化資源,給其足夠的生存與延續空間,從而有效保障我國傳統旅游文化的健康承續性。
(二)規范性傳承與發展
在旅游文化教學過程中融入相應的地方性旅游文化資源,能夠促進教師對本地區旅游文化的的了解,促進教師的教學,同時也能夠促使學生更容易接受旅游知識,從而提升學生對本土文化的自豪感以及自信心。舉個簡單的例子:教師在講解南岳旅游文化時,可以將其地域特色為學生進行講解,對南岳的佛教發展歷史進行講解,分析南岳寺廟的景觀特征以及分布等,從而來使學生了解到其中的文化韻味,提升學生的審美修養。
(二)能夠實現隱性教學目標
我國具有豐富的旅游資源,并且各個旅游資源中都帶有自身獨特的文化特征,具有很強的地域性,旅游文化只有植根于地方,才能夠顯示出特色。因此,高校教師在進行旅游文化的教學時,一定要站在地方性角度,來表現出地域性特點,以此來提升教學效果。對于地方性旅游文化的顯性教育主要是學生能夠了解地方的旅游文化特點以及旅游的價值,對于學生的教學來說,其中隱性教育也是很重要的,教師要通過地方旅游文化的教學,來豐富學生的精神世界,培養學生的文化韻味,為學生樹立一個健康積極向上的思想道德情操。
(三)滿足旅游市場的需求
對于旅游管理專業來說,旅游文化學不僅僅是一門專業基礎課程,同時也是一門實踐性很強的課程,很多時候旅游文化只有經過導游的傳播與展示,才能夠使人們了解到當地的文化特色。因此教師要針對市場的需求,對學生進行培養時,要從實際出發,能夠在實際工作中提升學生的實踐能力,從而來滿足社會發展的需要,促進學生綜合素質的提升。對于一些旅游專業的學生來說,不僅僅要對各個地方的旅游文化有一個了解,同時也要能夠深入的挖掘其中的本質,并且要不斷的拓展自身的知識面,對各個地域的文化起源以及各個朝代建筑風格等都有一個全面了解,只有這樣,才能夠保證學生走向社會后有一個更好的發展。
二、旅游文化課程教學改革的相關建議
(一)針對市場需求進行教學大綱的設計
對于高校旅游文化課程教學來說,其教學大綱必須要滿足市場的需求,教師要針對市場發展進行編制,將課程的內容,教學的目的以及各項任務等都進行明確的規定,將一些技能的范圍以及深度體系結構等都進行科學的設置,從而來更好的對學生進行教學。并且旅游文化教學大綱必須要順應地方高校的教育目標,針對市場進行分析,從而來不斷的對其進行更新,做到與時俱進,更好的對學生進行教學。所以,高校要不斷擴大地方性旅游文化的深度,將各個地方的旅游資源融入到旅游文化課程的教學中,對每一個旅游文化主題都進行重點講解與分析,從而促進學生的學習。
(二)針對地域地點進行教學內容設置
對于高校旅游管理專業來說,其中地域特色文化是旅游文化學教學的核心內容,地域文化特色是吸引游客的一個重要的手段。因此教師必須要做好對地域旅游文化的教學,學生在進行旅游文化的學習時,一定要充分的掌握到本土的旅游資源,這樣能夠有效使游客獲得認同感。所以學生必須要對本地域的旅游文化資源進行全面的分析掌握,能夠發揚本土優秀文化,促進文化的傳播與交流。高校在進行旅游文化課程內容的設置時,一定要將本地域的旅游文化特色融入到教材中,從而拉我促進學生對本地域的旅游文化有一個全面的了解,并且能夠針對本地區的旅游現狀以及旅游發展目標進行一個良好的規劃講解,促進學生旅游文化素質的提升。
(三)教學過程中要強化地方社會服務能力
目前來看,在很多高校對于旅游文化學的定位不是很明確,僅僅是將其作為專業基礎課程,只是在課堂上進行講解,缺乏實踐教學,導致學生實踐能力無法提升,無法適應社會發展的需要。因此高校對于旅游文化學課程的教學,必須要結合本地域旅游文化的特點,針對市場的需求進行教學,并且旅游文化學課程屬于一個實踐性很強的學科,教師必須要做好理論與實踐相互結合,在對學生講解理論知識的同時,一定要結合本地域文化特點進行實訓練習。另外要重視實用性實踐性以及市場需求性,教師要做好教學大綱的整合,做好實踐教學,充分的提升學生的綜合能力。高校要為學生提供實訓的機會,能夠增加關于旅游文化項目的實訓課程,要針對本地區重點的旅游文化景點來進行實訓課程的設置,從而來促進學生對本地域優秀文化以及著名景點進行了解,對其發展淵源、建筑特征以及文化內涵等都有一個深入的了解。